葬儀から帰宅して、玄関のドアを開ける直前になって「しまった、清めの塩をもらい忘れた」あるいは「使うのをすっかり忘れて家に入ってしまった」と気づき、急に不安な気持ちになった経験はありませんか。古くから続く慣習だけに、何か良くないことが起こるのではないかと心配になる方もいるかもしれません。しかし、結論から言えば、過度に気にする必要は全くありません。まず思い出していただきたいのは、清めの塩はそもそも神道由来の風習であり、仏教のすべての宗派で必須とされているわけではない、ということです。特に浄土真宗のように、死を穢れと捉えない教えの宗派では、塩を使うこと自体がありません。このことからも、清めの塩が絶対的な宗教儀式というよりは、日本に根付いた文化的慣習としての側面が強いことがわかります。もちろん、慣習を重んじ、気持ちの区切りとして塩を使いたいという方も多いでしょう。もし葬儀場で塩をもらい忘れたり、途中で失くしてしまったりした場合は、自宅にある食用の塩で代用しても全く問題ありません。できれば、食卓塩のような精製塩よりも、海水から作られた粗塩や天然塩の方が、本来の清めの塩に近いとされていますので、もし家庭にあればそちらを使いましょう。使い方は通常の清めの塩と同じで、玄関に入る前に胸、背中、足元に振りかければ大丈夫です。また、葬儀から帰宅したものの、疲労や心の動揺で塩を使うことまで気が回らず、家に入ってから気づいたというケースもよくあります。その場合でも、慌てる必要はありません。玄関で改めて塩を振りかけても良いですし、あるいは、塩をひとつまみ入れたお風呂に入ってゆっくりと身を清める、という方法もあります。いわゆる「塩風呂」にはリラックス効果も期待できるので、葬儀の疲れを癒すという意味でも理にかなっているかもしれません。最も大切なのは、形式にこだわりすぎることなく、自分自身の気持ちをどう整理するかです。清めの塩という儀式は、非日常である葬儀から日常へと心を切り替えるためのスイッチのようなものです。もし塩を使い忘れても、「故人のご冥福を心から祈る気持ちがあれば大丈夫」と考えることができれば、それで十分なのです。故人を悼む誠実な心以上に大切なものはありません。
もし葬儀で塩をもらい忘れたら?