葬儀に参列すると当たり前のように手渡される清めの塩ですが、実はすべての仏教宗派で用いられるわけではないことをご存知でしょうか。特に、浄土真宗では、清めの塩を一切用いないのが正式な作法とされています。これを知らずに、浄土真宗の葬儀で塩が配られないことを不思議に思ったり、逆に良かれと思って塩を使おうとしたりすると、かえって失礼にあたる可能性もあるため注意が必要です。なぜ浄土真宗では塩を使わないのでしょうか。その理由は、死に対する根本的な考え方の違いにあります。清めの塩の習慣は、神道における「死は穢れである」という観念に基づいています。死という異常事態に触れたことで身に付いた穢れを、神聖な塩の力で祓い、清めてから日常に戻る、というのがその目的です。しかし、浄土真宗の教えでは、死を穢れとは決して捉えません。阿弥陀仏の本願を信じる者は、この世の命を終えるとすぐに極楽浄土に往生して仏になると考えられています。これを「往生即成仏」と言います。故人が尊い仏様になるのですから、その死を不浄なものとして忌み嫌い、塩で祓うという発想自体が存在しないのです。むしろ、故人の死を穢れとして扱う行為は、仏様になった故人に対して大変失礼にあたると考えられています。そのため、浄土真宗の門徒の家庭では、葬儀から帰っても塩で身を清める習慣はありませんし、葬儀の場でも参列者に清めの塩を渡すことはありません。この考えは徹底しており、もし浄土真宗の信徒の方が他の宗派の葬儀に参列した場合でも、清めの塩は受け取らないか、受け取っても使用しないのが本来の作法です。他の仏教宗派の多くは、この習慣に対して特に厳格な規定を設けておらず、日本古来の文化的慣習として容認している場合がほとんどです。これは、神道と仏教が融合してきた日本の宗教史の背景が影響しています。したがって、葬儀に参列する際には、故人やご遺族の宗派がどこであるかを事前に確認しておくと、作法で戸惑うことが少なくなります。もし浄土真宗の葬儀であったなら、清めの塩がないことに驚く必要はありません。それは、故人が穢れのない尊い存在として、大切に見送られている証なのです。
宗派によって葬儀の塩は不要な理由