私が初めて一人で葬儀に参列し、お焼香というものを経験したのは、大学時代の恩師が亡くなられた時でした。それまでは親に連れられて行くばかりで、焼香も親の真似をして何となく済ませていました。しかしその日は、社会勉強だと言い聞かせ、たった一人で斎場へと向かったのです。厳粛な雰囲気の中、黒い礼服を着た大人たちに囲まれ、私は場違いな場所に迷い込んでしまったような心細さを感じていました。やがて読経が始まり、喪主の方から順にお焼香が始まりました。私は自分の番が近づくにつれて、心臓が早鐘のように鳴り出すのを感じました。周りの人たちの流れるような美しい所作を横目で見ながら、「一礼して、抹香をつまんで、額に当てて、香炉に入れる…回数は何回だっけ?」と頭の中で必死に手順を反復しました。しかし、いざ自分の名前が呼ばれ、祭壇の前に立った瞬間、私の頭の中は完全に真っ白になってしまいました。目の前には恩師の穏やかな遺影。その顔を見たとたん、大学時代にお世話になった様々な思い出が蘇り、悲しみが一気にこみ上げてきたのです。手順のことなど、すべて吹き飛んでしまいました。私はただ立ち尽くし、遺影を見つめるばかり。後ろに並んでいる人たちの視線が痛いほど感じられ、焦れば焦るほど、次何をすべきかがわからなくなりました。その時です。すぐそばにいた葬儀社のスタッフの方が、私の背中にそっと手を添え、「どうぞ、ごゆっくり」と小さな声で囁いてくれました。その一言で、私は我に返りました。そうだ、私は作法を披露しに来たわけじゃない。先生にお別れを言いに来たんだ。そう思うと、少しだけ肩の力が抜けました。私は見よう見まねで、震える手で抹香を一度だけつまみ、香炉にくべました。そして、ただひたすらに、先生への感謝と安らかな眠りを祈って、深く手を合わせました。自席に戻るまでの道のりは、とても長く感じられました。自分の不甲斐なさに恥ずかしい気持ちでいっぱいでしたが、同時に、作法以上に大切なものに気づかされた瞬間でもありました。葬儀のマナーはもちろん重要です。しかし、それにとらわれすぎるあまり、故人を悼むという本来の目的を見失っては本末転倒なのだと。あの日の失敗は、私にとって忘れられない苦い経験であると同時に、弔いの心のあり方を教えてくれた、貴重な教訓となっています。