私が初めて喪主という立場を経験したのは、父が亡くなった時のことでした。三十代前半で、まだ冠婚葬祭のマナーにも疎く、悲しみに暮れる中で葬儀の準備を進めるのは本当に大変なことでした。何もかもが初めてで、葬儀社の方に言われるがままに物事を決めていくような状態でした。そんな中、ふと叔父から「お坊さんへのお車代は準備したか」と尋ねられました。お布施のことは頭にありましたが、「お車代」のことはすっかり抜け落ちていたのです。慌てて叔父に相場や作法を教わり、なんとか白無地の封筒と新札を準備することができました。問題が起こったのは、そのお車代を渡すタイミングでした。葬儀と告別式が終わり、精進落としの席も終盤に差し掛かった頃、私は「しまった、まだお車代を渡していない」と気づいたのです。僧侶はすでに控え室に戻られており、いつお帰りになるかわかりません。私は焦って席を立ち、控え室へと向かいました。ドアをノックし、中に入ると、僧侶はまさに衣を脱いで帰る支度をされている最中でした。私は慌てて懐から封筒を取り出し、「本日はありがとうございました。こちら、お車代でございます」と差し出しました。僧侶は少し驚いたような顔をされましたが、すぐに穏やかな表情に戻り、「ご丁寧に恐れ入ります」と受け取ってくださいました。その場は何事もなく終わりましたが、後から考えると、あのタイミングは最悪だったと顔から火が出る思いです。相手がまさに帰ろうとしている慌ただしい時に、しかも着替えの最中に踏み込んでしまったのですから、大変な失礼をしてしまいました。本来であれば、葬儀が始まる前の挨拶の時か、終わってすぐにお礼を述べるタイミングで、落ち着いてお渡しすべきでした。あの時の私の行動は、ただ「渡さなければ」という義務感に駆られただけの、相手への配慮が全く欠けたものでした。この経験を通じて、私はマナーというものが、単なる形式ではなく、相手を気遣う心の表れなのだと痛感しました。葬儀という非日常の場では、誰もが動揺し、普段通りの判断ができなくなることがあります。だからこそ、事前にやるべきことをリストアップし、誰がいつ行うのかを親族間で共有しておくことの重要性を学びました。お車代一つとっても、そこには感謝の気持ちを伝えるための適切な「時」と「場」があります。