夏の盛りのある夜、故郷の母から父が倒れたとの知らせを受け、私は急いで最終の新幹線に飛び乗りました。しかし、私の願いも虚しく、病院に着いた時、父はすでに息を引き取っていました。悲しみに打ちひしがれる間もなく、葬儀の準備が始まりました。真夏の暑さの中、父の遺体は葬儀社の斎場に安置されることになりました。担当者の方が、父の体にそっと白い布をかけ、その上からタオルに包まれた角氷のようなものをいくつか置いていくのを、私はぼんやりと眺めていました。それがドライアイスでした。翌日、翌々日と、打ち合わせのために斎場を訪れるたび、スタッフの方が新しいドライアイスを交換していました。その度に、父の周りから白い冷気が立ち上り、それはまるで、父の魂が少しずつ天に昇っていくようにも見えました。日に日に交換されていくドライアイスの塊は、私に時間の経過を冷徹に突きつけました。この冷たい塊が、父の体をこの世に留めてくれている。それが無くなるとき、父は本当に遠い場所へ行ってしまうのだと。滞りなく葬儀が終わり、後日、葬儀社から届いた請求書を見た時、私は「ドライアイス代」という項目に目が留まりました。数万円というその金額は、決して安いものではありませんでした。しかし、その数字を見ても、私は「高い」とは感じませんでした。あの夏の暑さの中、父の顔が穏やかなままで、私たちが心穏やかにお別れをすることができたのは、間違いなくあのドライアイスのおかげだったからです。それは、単なる冷却材の代金ではありませんでした。それは、父の最後の尊厳を守り、私たち家族が悲しみと向き合うための、静かでかけがえのない時間を与えてくれたことへの対価なのだと。ドライアイスの冷たさと重みが、父の死の重さと、私たち家族への最後の優しさのように、私の心に深く刻まれています。
父の葬儀で知ったドライアイスの重み